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仲間がいたから、今の自分がある。旅館文化を笠間に残したい。 - 割烹旅館 城山 女将 新名寛子さん

DATE:2020.01.23

NAME:オリベル

 笠間稲荷神社すぐ裏手に佇む「割烹旅館 城山」。旅館としての創業は昭和38年、笠間の発展と共にこの地で時を重ねてきた。

 「こんな場所が笠間に残っていたんだ…」

 昔ながらの旅館といった風情溢れる佇まい。笠間の旅館らしく客室や宴会場の部屋札は笠間焼で作られ、各部屋や廊下など随所に活けられた生花がぱっと場を明るく華やかにする。
 笑顔で出迎えてくれるのは「城山」の三代目女将、新名寛子さんだ。


 「昔は笠間も茨城も、嫌いだったんです(笑)」

 気持ちが良いほどはっきりと言い切った新名さんは「城山」の一人娘。小さい頃から「いずれ旅館を継ぐのだろう」と決めつけた目で見られることに強い抵抗感を感じていた。跡継ぎになるのが嫌で、高校で笠間を出て、東京の大学に進学。バックパッカーとして海外を放浪したり、東京に戻ってからは生きがいとなる仕事に就き、順風満帆な20代を送っていた。若くて自由。これからもずっと東京で暮らしていくのだろう。笠間に戻る気は更々なかった。

 30歳になる頃、二代目女将だった母親が亡くなってしまう。跡継ぎがいないからと、東京でのキャリアを捨て泣く泣く笠間に帰ってきた。戻ってからの数年間は気持ちが落ち着かなかった。東京での夢が破れて、何のビジョンもなくて、でもやるしかない。都会と笠間を比べて不貞腐れていた自分を変えてくれたのは"仲間"だったと、新名さんは熱く語ってくれた。

 二代目や三代目、起業をした人など、若い商売人が繋がる笠間の青年会議所。「奉仕・修練・友情」の三信条を掲げ、自分たちで出した会費は全て地域の為に使い、まちづくりのために奮闘する。新名さんは「城山」の三代目として青年会議所に参加し、仲間と一緒にまちづくりや奉仕に携わっていくうちに考え方が大きく変わった。活動の中で郷土愛が育まれ、生まれ育った笠間に対して、自分に何ができるのかを考えるようになった。

 自分と同じように商売を継いだ友人に、どうしても自分の境遇に反抗心を感じてしまうことを話したことがあった。友人はこんな風に答えてくれた。
 「自分の家が商売をやっていたから今の自分がある。だから、跡を継ぐということは他に選択肢がないくらい当然のことだと思ってやっている。」
 お酒を飲みながら言ったその言葉が、自分を振り返るきっかけとなった。自らの環境を受け入れて前向きに頑張っている仲間がいるのに、反抗心だけで故郷を顧みなかった自分が恥ずかしかった。これではダメだと、より一生懸命活動に取り組むようになった。

 青年会議所の交流を通じて笠間から茨城県全体、関東地方、全国のメンバーと知り合うようになった。日本中の青年会議所のメンバーと交流する中で、自分の甘さや想いの弱さをより思い知ることができた。仲間との交流が広がるごとに自分の視野も広がり、一度笠間を出たからこそ活かせる視点もあった。そしていつしか、笠間が大好きになっていた。

 「あのまま東京で暮らしていたら、自分の住んでいる地域に愛着が沸くことなんて、なかったかもしれない。」と新名さんは言う。
 大学、アルバイト、会社、プライベート、楽しかった東京時代。でもそこに「地域の交流」はなかった。近所づきあいと呼べるものもほとんどない。自分の暮らす地域や、生まれ育った故郷のことを「考える」という観点がなかった。
 一方、笠間には昔ながらの「近所づきあい」が息づいている。ご近所さんが作った野菜を持ってきてくれたり、一人暮らしの高齢者の方にご飯を持って行ってあげたり、門前通りを歩けば「今日はいい天気だね」と声を掛け合う。そんなちょっとした交流が今はすごく嬉しい。
 青年会議所での活動は、振り返ってみると色々なことがあった。みんなで眠らずに朝まで議論したこともあった。何にも代えがたい濃い時間を共に過ごしたからこそ、かけがえのない仲間になった。青年会議所を卒業してからも絆は固く、交流はずっと続いていく。
 直接自分の仕事とは関係のない活動でも、笠間を良くしたい一心でみんな一生懸命取り組んだ。その時間の中で仲間意識や友情が芽生えたから、今も持ちつ持たれつの関係でいられる。「今度の宴会も城山さんにお願いするよ。」地域や社会のためにやってきたことは、巡り巡って自分の商売に返ってくる。

 親の代やその前から、仲間で集まって続けてきたのだ。決して自分一人で商売をやっているわけではない。稲荷神社があって、焼き物があって、そしてそこに人がいて。旅館というのは切っても切れない地域との繋がりがある商売なのだということを実感した。笠間との繋がり、仲間との繋がりを大事にして、これからも商売を続けていきたいと新名さんは語る。
 新名さんが女将に代替わりして約2年。旅館は観光産業のプラットフォームであるべきだと言う。お客様と直接対話できるのは旅館業の特権。笠間や茨城を訪れた人の一番近くでその魅力を発信できるのだ。宿泊客には笠間を訪れた目的を必ず聞くし、「笠間や茨城には何があるの?」と尋ねてくる人も多い。地域のことを積極的にPRし、この旅館から発信していきたい。震災後、多くの旅館が廃業していく中、なんとか笠間に旅館を残したいという想いで続けている。

 プロゴルファー畑岡奈紗さんの出身地であり、数多くのゴルフ場がある笠間市は「ゴルフのまち」でもある。「城山」からも30分圏内に十数カ所のゴルフ場があり、宿泊客もゴルフ利用者が多い。
 焼き物目当ての宿泊客も増えている。笠間焼と益子焼が県の垣根を越えてタイアップした「かさましこ」が浸透し、今日は笠間・明日は益子というように、本来は日帰りで来れる場所でも宿泊する観光客が増えたのだ。
 夏は海水浴客が、あしかがフラワーパークの藤やひたち海浜公園のネモフィラの時期は花見客も多い。茨城空港ができてからは海外からの観光客も増えてきた。

 笠間は温泉が出ないので、差別化を図るために旅館の大浴場にはバラの花を浮かべている。バラは茨城の県の花であり、香りにも癒される。食事は1グループずつに個室を用意。地場のものを使った自慢の料理は、温かいうちに一品一品丁寧に提供したいと、創業から変わらず続けている。そういった細やかな心遣いこそが旅館の文化であり、伝統だ。
 新名さんの持つ笠間の原風景は、旅館や料亭が沢山あって、芸者さんが行き来する賑やかな時代。朝から晩まで、三味線の音や客人の笑い声が聞こえてくる。稲荷神社や門前通りでは、浴衣姿の観光客が芸者さんと寄り添って下駄を鳴らす。それが当たり前の風景だった。
 昔から慶事や法要、季節の行事など、節目節目で家族や親戚、仲間が集まり、料理を囲んでお酒を酌み交わす文化があった。人が集えばそこにエネルギーや活気が生まれ、まち全体の活力になった。

 「今はみんなで会する時間が極端に減ってしまったようで寂しい。」と新名さんは話す。
 そういった節目ごとの集まりが減り、どことなく人と疎遠になってきている。関わりたくない、面倒くさい、お金がもったいないなど、自分さえよければいいというような現在の風潮が物悲しい。
 「時には喧嘩をするくらい本音でぶつかって、お酒を飲んでどんちゃん騒ぎをするくらいが私は好きです。そっちの方が楽しいじゃないですか。」

 人生や季節ごとの節目をみんなで祝う。そんな文化を大事にしたいから、自らがきちんと伝え、利用してもらえるようなお宿にしていきたい。そのためにはどうやってPRをしていけばよいか、苦労はまだまだありそうだ。海外からの観光客も増える今、旅館を守るために変えなければならないこともある。

 故郷のことは顧みずに好きなことを散々やった20代。笠間に戻り、青年会議所の仲間と共に邁進した30代。そして時代は変わっても、旅館の文化・伝統を守り、笠間に残していくことが、これからの夢。
 生まれ育った故郷があり、旅館があり、仲間がいる。笠間に戻って良かったと、心から思える。






割烹旅館 城山(しろやま)
茨城県笠間市笠間14-1
tel. 0296-72-0861
www.siroyama.biz

位置情報

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