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笠間の地で自分がやるべきことと、やりたいことー藤井農園・青藍 三星江利子さん

DATE:2019.11.30

NAME:ゴロリン

「友部図書館が近いので、ゆっくりお茶を飲める場所があったらいいなと思って。」図書館まで200メートルほどの場所に三星さんの経営する“ギャラリー&カフェ青藍(せいらん)”はある。青藍とは、藍染めの色合いを示す呼び方のひとつ。学生時代の専攻を生かして草木染のワークショップを開いたり、作家の作品展示や、両親の作る野菜を販売できるようなお店にしたいと実家隣に自宅兼店舗として2016年にオープンした。

「繁盛するようなお店作りというよりは、今は自分のやることをやりながらできればいいかなという感じでやっています。」というのも、高齢になる両親の介護が必要になり、代々の農家であった両親の農業を手伝いだった形から本格的に引き継ぐことに。現在は農業に費やす時間がメインとなっているようで、カフェの方を開けることがなかなか難しいそう。

農業は始めて3年。基本的に作付けから出荷まで一連の仕事をすべて三星さん一人で行う。
「本当はギャラリーの方を主体にしたかったんですけどね。」と、本音をこぼしつつも、しっかり農業と向き合う姿に力強さを感じる。
現在、ナス、わらび、ぎんなん、白菜、大根、ニンジンなど1年間で20種類程の野菜を栽培している。畑を見せてもらうと、なんと広さが約5,000㎡程あるそうで、1つの作物だけで幅60メートル程までにも渡っている。これを1人でというのだから驚きだ。
笠間市(友部)が地元の三星さんは、4年前まで埼玉に20年暮らしていた。「埼玉では生協(パルシステム)に加入して総代も勤めました。そこで扱う農作物は農薬基準のチェックが厳しく、基準値のことについて学ぶことができ、大分詳しくなりました。一人目の子どもが未熟児だったこともあり、食べるものには気を使っていたんです。あとは、子どもたちをボーイスカウトに参加させていたので、活動の一環でジャガイモを植えたり、農業の体験はよくしていましたね。だけど、商売となるとやっぱり重みが違う。」
農業は自分で判断しなければならない。作付け、収穫の量、病気でマイナスになってしまう分、畑を輪作していく大変さがわかってきたという。

「実は今年大規模な野菜の病気が出てしまって。土壌の診断も受けて肥料もパーフェクトにこなしていたのに、いざ開けてみると葉っぱが全滅でした。笠間地域農業改良普及センターに見てもらったところ、連作障害がわかり、全部やり直しになってしまいました。土壌の消毒をしなければならなくなり、農薬はなるだけ使いたくなかったので、太陽熱消毒という方法を教えていただきました。今年はあらためて農業における土の大切さを痛感しました。」
なるべく農薬を使わずに作物を育てることが三星さんのポリシーだ。初めはうまくいかないこともあったそうだが、自身が頑張ることで野菜が応えてくれるようになったという。「子どものように手をかけた分、収穫の喜びがあります。」
国産野菜にこだわるからこそ、危機を感じていることもあるようだ。
「自給率を考えると、直売所などで野菜を出荷している人は今70代の人が主なんですよ。あと5~10年もしたらできなくなってくるのが明確なんです。自分としては国産の野菜を守っていきたい。だから農業は続けていきたいです。大規模にはできないけれど、少量でいいから、多品種のものを1年間通して作っていけたら。糖度の高いニンジンが作れたら、それをジャムにしてみたいですね。」
実は第一回目から陶炎祭には何十年と通っている笠間焼ファンでもある三星さん。豆皿集めが趣味なのだそう。
「笠間焼は白い磁器と比べると、土ものの温かみがある器が多いですよね。自分が焼き物を選ぶのであれば地元のものを選びたい気持ちが強いです。」

物静かな話し方が印象的な三星さんだが、農業、カフェギャラリー経営、染織工芸(草木染が笠間市ふるさと納税返礼品登録されています)の多岐にわたる活動と、深い地元愛には“笠間人の風格”といった言葉が似合う。



ギャラリー&カフェ 青藍-せいらん-
笠間市中央二丁目3-41
TEL.0296-77-8719

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